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ヒーリングセラピストへの道・パート3

ヒーリングセラピストへの道・パート3

みなさま、こんにちは!

AmatoのMitoです♪

今日はヒーリングセラピストへの道・パート3です♡

ヒーリングセラピストへの道は突然の出来事から展開した♡

それはズバリ!母の病。

霊能力は遺伝すると言われる。
母には霊能力があった。

子供の頃からよくまだ話していないことを先に言い当てられたり、不思議なことだらけだった。
思春期になると、それが嫌で、わたしからからかったり、喧嘩をふっかけるようになり(笑)、
ちょっと関係性もギクシャクしたこともある。


過去生の話をよくしたり、台湾の瞑想のリトリートで運命的に出会ったという過去生での息子とやらを来日させ、仕事探しを援助し、
治療室の2階に数年間住まわせたりして、私たち家族は混乱したものだ。


その過去生の息子に、現生の娘は嫉妬して冷たく当たったりもした(笑)
だって、私から見たら親近感が湧かないから(汗)


思春期から20代初めで留学するまで、「母は頭がおかしい」と思うようになった。
というかそう思うようにした。
だって、私のその時の知覚できる範囲以上のことを母は言ったり、行動に移したりしたから。


本当はスピリチュアルな感性が子供の頃から際立っていたのに、それを「おかしい!」と言ったり、バカにする娘の私のことを
この頃、母は悲しく思っていたのかもしれない。



それでも母はめげずに、
よく「少しずつ開いて行くから、Mitoちゃんが準備ができた時にいろいろ教えてあげるね」と話してくれていた。


その「教えてあげる」と言うやり方が、普通に考える「教える」とは違うということは、母が亡くなる数ヶ月前〜死後にわかってきた。

「教える」って実はいろんなやり方がある。

「教える」って一言で言っても実はいろんなやり方がある。
言葉を使って「教える」こともできるし、一切言葉を使わずに「たたずまい・presense」で見せることもできる。
そして、スピリチュアルなビジョンをイメージや感覚で伝授することもできる。



振り返ると、私は母が偉大な教師だったと思っている。
誰にとっても親子関係は教え教えられだと思うが、
特に母はコンシャスに、その背中から、ときには言葉で、いろいろなことを
子供の頃から教えてくれていた。



それは亡くなってからも、約2年間、スピリチュアルな感覚でのやりとりで続くことになる。

神秘体験♡

2018年の私のお誕生日の週に、1度目の入院をしてから、母は数ヶ月でみるみるガンの状態が良くなり、退院をした。
調子を取り戻した母はそこからまた3ヶ月大好きだった「治療」を再開。
その後治療中に真夏に倒れ、そこから再入院し、数ヶ月で亡くなった。



その9ヶ月間の間、神秘体験が始まった。
わたしの感覚では「本格的なスピリチュアルトレーニング」が始まったのだ。



まずは、いろいろな声が聞こえるようになった。
飼っていたペットの声が聞こえたり、ペットや近親者の死期を予感したりは今までにあった。
でもそれは本当にごくたまに!ある出来事だった。

それが、日常化した。


いろいろな歌が頭の中で急に鳴る。母が元気に回復しているのに、どうしても「別れ」や「亡くなる」歌が流れる。
これが数ヶ月続いた。



母が再入院してから、神秘体験が加速した。



道を歩いていると、急に空が話しかけてくるし、風の声が聞こえる。
草木の声も聞こえる。
自然と繋がるってこういうことなのかな?という体験だった。



急に天使も見えるようになり、天使なんてただのキリスト教の「偶像」だと思っていた私には衝撃で(笑)、
急に天使に関連する書籍を探しに行ったり、スピリチュアルな感性はおかしくない!と思える本が本屋の棚からばさっと落ちてきたりした。


見る夢も不思議かつ具体的な啓示的な夢ばかり見て、眠っているのか?起きているのか?わからないようなずっと脳みそが覚醒しているそんな数ヶ月。


そこから20代の頃LAの南側のビーチ(名前がわかりません)にあった美しい雑貨屋で出会ったエンジェルカードを久々に出してきて、
そこからドリーン・ヴァーチューという心理博士で天使の研究をしている方の書籍を片っ端から購入し、短期間で読み進め、
啓示的な夢や頭に聞こえる声に従ってスピリチュアルなことを調べ始めた。



「数秘」「アカシックレコード」など、それまで聞いたこともないような言葉が繰り返し、聞こえたり、頭に浮かぶ。
特に、病院で母にマッサージをしている時に、どんどん頭から体内に入ってくるように感じた。



母が息を引き取る前日、もう会話で意思疎通ができなくなっていた時、母の手を握っていた。
突然、第三の目(眉の上あたり)から今見ている病室の様子に重なって、スピリチュアルなビジョンが見えた。



テント生活をしている私と母。日本ではなさそう。トルコか?イタリアか?どこか?顔が濃い人種。ジプシーのよう。
現実と同じように、母は今からあの世へ旅立とうとしている。
私は、クリスタルや薬草を使って、母がすんなりとあちらの世界へ移行できるように手助けをしている。



そんなビジョンを見て、母との繋がりを深く感じて、涙が溢れた。



ふと母を見ると、管が鼻に入って、点滴の針も繋がれ、とても不自然な状態で病院のベッドに居る。

「お母さん、私たちいま不自然な時代に生まれてしまったんやね。今回は、楽に逝ってね。」と心の中で思ったのを覚えている。



それから翌日、お昼になる少し前のとっても空気が澄んだ美しい時間に、母は潮が引くようにして静かに息を引き取った。



ガンが全身に転移していたので、最後の最後まで「痛い!」という感覚に顔を歪めながら、それでも最後の最後まで強く生きて美しく息を引き取った様を見て、「生きる」ということがどういうことか?に、ハッ!とさせられ、それから私の大切なテーマの一つになった。


お棺に入った母の姿が美しすぎて父が「どうしよう!また惚れてしまった!」と言っていたのを覚えている。

ヒーリングの基礎の基礎も母に学んだ。

2009年から本格的にヒーリングや波動についてを宝塚のヒーリングダフネ・柳瀬理佐先生のもとで学んだが、
ヒーリングの基礎の基礎は母から病床で教わった。
そして波動を感じる基礎は、実は子供の頃に遊びの中で教わった。


ハンドヒーリングの基礎は病床で、
「ただ手を感じるままに受け手の体に置き、その感覚が移動したらまた手を動かして行く。やってみ!」と
背中に手を置くように指示され、
「それだけ!うん、Mitoちゃんもできてるね!簡単でしょ?その感覚があれば大丈夫!」
となんとも10分くらいで教わってしまった(笑)


母が使っていた手法は何と言うものなのか?実際はわからない。
手当てとリンパマッサージとレイキヒーリングが混ざったようなもの。



持論では、人間なら誰でも持っているヒーリングスキルだと思っている。
それを練習/訓練して伸ばすか?伸ばさないか?ではないかな?と思っている。
スピリチュアルな感性も同じ。意識してエネルギーをそこに注ぐか?注がないか?だけ。



母は、訓練して開いてきた人であることは確かだ。
母の友人に聞くと、私が生まれる前から、化粧品会社の企業研修ビジネスコンサルタント時代から、
仕事仲間の体に手を当てたりしていたらしい。


母のこと

ちょいちょい触れてきたが、母はエキセントリックな人だった。



静岡の田舎から京都という街に出てきて、短大に行き、その後2年ほど秘書として働いた後、日本画が好きになり、起業した。
ファッションが好きだった母は着物を着たりおしゃれをして、車で富裕層が住むエリアに出かけ、日本画を持って直接営業に回り、
次第に顧客が増えると京都の桂に画廊を構えた。24歳のころの出来事らしい。




当時の日本人女性としては珍しいまでの自立心と好奇心。そして行動力だったと思う。
のちに、企業研修のビジネスコンサルタントをしていた時は、香港に滞在したり、とにかくじっとしていない人だったようだ(笑)
こうやって振り返ると、私の方が長い間自信が持てなかったり、内気だったりしたけれど、どこか母に似ている。
いや、だいぶ似ているかもしれない(笑)


どうも、ビジネスセンスは違うようだ。
私は生まれ持ったビジネスセンスには欠けるので、目下実践と勉強の両方で学び中(笑)



私の生父は在日韓国人だし、当時の日本人女性が国籍と文化が異なる在日韓国人の男性と
一緒になると決めるのも周囲の反対が大きく難しかったようだ。



私が生まれてからは、当時すでに関係性が良くなかった夫との離別を前提に明治鍼灸大学に進み、
4年間鍼灸を猛勉強しながら、自宅では口コミでヒーリングを受けに来る患者さんたちを相手に施術を施していた。
大学を卒業してからは、鍼灸院を立ち上げ、ヒーリングと鍼灸と霊能ビジネスコンサルを交えて日本各地から口コミだけで
人が集まった。
そう母は一切宣伝活動をしたことがない。
これは、私からすると本当に今でも信じられない(笑)



幼稚園時代、生父と別れ、母と私で暮らしていた時期も、夜になると勉強机に向かって勉強していた姿が印象的だった。
大人になったら勉強をするもんなんだ。と思っていた(笑)
私は母ほど勤勉じゃないタイプなんだ!ということは、思春期になって判明した(笑)
そう!興味のない分野は全く勉強できないタイプだった。

ヒーリングの基礎の基礎を伝授された後・・・

ヒーリングに関してはこんなエピソードがある。
私が10歳くらいの頃、飼っていた犬がコタツの線を噛み、感電したことがある。
その際に、目の前で、母が手を当て、呼吸を繰り返すと、犬が息を取り戻したことを鮮明に覚えている。



そして何を隠そう、私の育ての父は、頭蓋骨骨折を2回もして、日常が辛かったところ、友人の紹介で母の元を訪れ、
3回頭を撫でられただけで全て治ってしまった人である。
そして生父との関係で男性恐怖症とPTSDだった幼稚園時代の私が、唯一自分から添い寝してほしいとお願いしたのが今の父だ。
そんなこんなで今もずっと見守ってくれている魂の繋がりが深い父である。



ヒーリングの基礎の基礎は母から伝授されたので、私と父は母が使っていた手法を使うことができる。
鍼灸のお弟子さんも何人かいたが、みんなうまくできない。。。と嘆いていたのを覚えている。


父はそのヒーリングを母のためだけに使うと決め、母の死後は自分のために使い、70歳を超えた今40代や50代の頃より、
元気になっている。
そしてこの父、超個性的でシャーマニックでスピリチュアルが大嫌いなドスピリチュアルで良い意味でド動物的な人だ。
そして常に笑いに変えられる人だ。



当時の私は、ヒーリングの基礎の基礎に関して、
母に「Mitoちゃんもできるね!」と言われたが、これが「できる」と言えるのか?半信半疑で、一旦封印してしまった。
昔の私は猜疑心旺盛で思考が大優勢で自分のことが大嫌いな人だった。



その後10年間、今も続く、ヒーリングや心身の学びを通して、
昔からもっていた感覚や感性と思考のバランスが少しずつ取れるようになってきた。
それでも、まだまだ、頭でっかちな方だと思う。




続きはパート4に続きます♪
Thank you so much for your reading!
See you next time♪

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